子どもに自立してほしいと思う
&自分の煩わしさ(自分の好きなタイミングでない)
など、いろいろありますし、実際
子どももいつかは自立し、親元を離れていく方が良いのです。
それが自然です。
物理的に離れなくともですよ。
親はだいたいは先に逝くのですから。
困らないように・・・
自分で生きれるように(経済的でなく、心身共に自立しておく)。
と、思いつい
「自分でやって。」
「自分で出来るでしょ!」
「自分で出来ないとどうするの。」
そう言ってしまいますが、自立はしておいた方が
本人も自由(好きな時に好きなことを責任もって行う)で
楽だと思います。
でも・・・・・
ふと思えば、私は「自立した方が良い!」と言う
偏った考えをしていたと思います。
前記したように、自立は自然な流れですし
しておいて良いでしょう。
でも、すぐになんて難しいですし
個人差とかタイミングとか。。。
そんなのを無視して言っている。
ロザンさんの(お笑いの)YouTubeで
今の教育は「いい子を作る教育」とおっしゃってました。
「いい大人」を育てるためじゃなくて・・・・((+_+))
ちょっと、ゾッとしましたし
ハッともしました。
確かに、、、大人になるために大事なことは教えず
勉強・勉強・・・・
そりゃぁ、大人になってから潰れる人も多い気がします。
でも、私も大人になるために・・・
と自立・自立言いながら、何だかこっち都合のような・・・
とにかく、恐ろしいことに
「自立」「自立」言いながら
私は自分に向かって自立しろと言っているのです。
私も自立した人間にならねばと
会社に通い、給料いただいて、自分で生活する。
大切な事だけど
楽しくなかったのにな。(特に好きな事をしていたわけではないので)
(かと言って、嫌いでもなかったんですが、
人の役に立たねばと、必要以上に過敏で疲れ気味ではありました)
自立自体の私の概念がおかしかったのかも。
「自立」。自分の働いたお金で生活も大事だけど
「自分で考えて、自分で選択して、自分でやってみる」。
人に頼ったり、間違えたり、上手く出来なくても、
自分が自分で楽しいと思える事を自分で見つける。
何だか、立派な自立な気がします。
一人で立つ頼もしさも必要ですが、ずっとそうじゃなく
周りとも協力すれば、一人で出来ないことも出来る。
いろんな可能性と、自由さと広がりがある、
そんな「自立」を目指していたはずなのに、
今までの「自分で稼がないと
自立してないって思っていたけど(稼げるにこしたことはないですが)
それは、私の固定概念ですね。
稼ぐ、稼がないは別(資産があって自分で稼ぐ必要がない場合もある)けど、
自立出来てない人もいますもんね・・・
そう思うと、稼げる人間=自立は間違っている概念。
概念剥がし。
面白いですよ~♡
でも、気が付かないからこそ概念・・・
そして剥がしたつもりでまだまだあるのも概念・・・
でも、書き変えれる(変更可)なのも概念・・・
剥がした・・・と思うだけでなく
必ず行動しましょう☆
それが概念が書き換わった証拠になります。
口に出す。(人に話す)(自分で聞けますしね、自分の言葉)(一人事も可)
文字にする。(日記)
行動。反応。(前の概念時に行っていた行動をしないとか、別の行動になる)
すると、同じ問題は起こらなくなったり
起こるけど対処できるようになります。
面白いですよ(^^♪
my narrative
my narrative ナラティブとは「物語」。 物語の語り手は自分。自分自身が「物語」=「人生」の主人公となり、またその物語は完結せずに変化(進化)し続けます。
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