意見に上も下もない

私は人に意見を言うのが 多分 苦手な方です。


なぜ、苦手かと言うと、きっと自分に自信がないから。

そして、これは前にも言われた意見だろうか・・とか

この意見は間違っていないだろうか・・・と

思うと、なかなか会議などで意見が言えないタイプでした。


でも、人の意見には上も下も間違いもないんです。

それに、今は分かりますが、言ってもらった方が

相手も何を困っているとか、何を改善するのに優先すべきことか


など、きっと役に立ったことだと思います。


意見に上も下も、間違いもないと言われても


自尊心の低い私にはあまりピンと来なかったんですけどね((+_+))


でも、人には立場や国や性別、理解度においてその人の最善であるという事が

だんだん染みてきますと、意見はただの意見であり

上も下も、間違いもないのだと分かるようになってきました。



国が違えば、食事の作法(中国ですと少し残すのが礼儀:食べきれないご馳走を

ありがとう と言う意味)や


日本では一夫一妻制ですが、他の民族では一夫多妻や

太っている方がモテルとか


宗教において食べれないものがあるとか。


その人の生きてきた文化や環境、考え方があるのです。


私はヨガの勉強をしていますが、言葉の意味が理解できない事が多々あります。


しかし、その言葉の意味が分からないながらに出した私の言葉や答えは

その時の最善であり、上も下も間違いもないのです。


だから、言葉の意味の理解が深まったり、

違う文化の人たちと理解しあえた時、


また意見が変わってもいいんです。


てか、意見なんて変わってきますよね。

でも、私にはそれが分からなかったのです。

変わらない意見を出そうと、間違っていないか?などと

怖くて言えなかったのですが、


意見は変わるのも。

そして、立場や理解度など人のその時の、その最善である事。

これが分かってくると


自分の意見が間違ってないか。とか

他人の意見を受け入れれない。と言った事が少なくなってきます。


ヨガの智慧を、これからも取り入れて行きたいです(^^

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my narrative

my narrative ナラティブとは「物語」。 物語の語り手は自分。自分自身が「物語」=「人生」の主人公となり、またその物語は完結せずに変化(進化)し続けます。